ユーコンの自然・歴史・文化 About Yukon

もっと知りたい! 美しい北の大地ユーコンのこと

ユーコンの概要

面積 483,450平方キロメートル(日本の1.3倍) 人口 約44,000人(カナダ全体約3,900万人の約0.1%)
州都 ホワイトホース(人口約35,000人) 使用言語 公用語は英語とフランス語だが、ほとんどの人が英語を母語としている。またユーコン全土では8種類の先住民の言語が残っている。
シンボル

州花:ファイヤーウィード(ヤナギラン)
州木:サブアルパイン・ファー(モミの木の一種)
州鳥:ワタリガラス
ユーコンの
意味

準州内を流れるユーコン川にちなんでつけられた州名。もともとは、先住民グウィッチン族の言葉で「大河」を意味する。
準州とは カナダには10の州(Province)と3つの準州(Territory)がある。州はそれぞれ自治権をもつのに対し、準州は人口が少なく、立法、行政などは連邦政府の直轄となる。ユーコン準州の他に、ノースウエスト準州、ヌナブト準州がある。 主な産業 鉱業、観光・サービス業など。

ユーコンの地形・自然

ユーコン準州は北緯60度から北へ、北極圏にかけて広がっている。南はブリティッシュ・コロンビア(BC)州、東はノースウエスト準州に接し、北はボーフォート海(北極海)に面している。また西はアメリカのアラスカ州に隣接。地形や自然の主な特徴は下記の通り。

[マウント・ローガンと大氷原]

準州の南西部には、カナダ最高峰のマウント・ローガン(5959m)をはじめセント・アライアス山(5489m)など5000mを超える山々が連なるセント・アライアス山脈(クルアニ国立公園)がそびえる。
また一帯は厚い大氷原(氷河)におおわれており、その規模は極地以外では最大のもの。このエリアは隣接するBC州やアラスカの自然地帯とあわせ、世界遺産に登録されている。

[ツンドラ地帯]

山岳地帯の高山部や北部には、永久凍土の上にコケや草木、灌木などが茂るツンドラ地帯が広がっている。高い木々はなく、見渡す限りの原野といったユニークな景観が広がる。デンプスター・ハイウェイは、その中を走り抜けるドライブルート。秋には真っ赤なじゅうたんを広げたような鮮やかな紅葉も見られる。

[ユーコン川]

70もの河川が網目のように流れるユーコン準州。その中でも大きな幹流がユーコン川だ。川の始点はBC州北西部のアトリン湖。ここから州内を横切ってアラスカへ抜け、ベーリング海へと注ぐ。総距離は3185kmで、北米では5番目の長さ。先住民の時代から重要な水上交通ルートとして使われ、州都のホワイトホースや第2の町ドーソン・シティもこの流域にある。ホワイトホースからはカヌーでのユーコン川下りが人気。

[白夜]

北緯60度以北にあるユーコンでは、夏至を頂点に夏の日照時間は非常に長い。6月のホワイトホースの日照時間は19時間、さらに北にあるドーソン・シティでは21時間以上もあり、夜も薄明が続き完全に暗くなることのない白夜が続く。
逆に冬にはかなり日が短くなり、12月の日照時間はホワイトホースで5時間半、ドーソン・シティでは4時間程度に。夜が十分に長いこの時期は、オーロラ観測の最適シーズンとなる。

ユーコンの歴史

[氷河時代]

氷河時代は地球上の水の多くが凍りついていたため、海面の位置は現在よりもかなり低く、そのため北米大陸とユーラシア大陸はベリンジアという陸橋で結ばれていた。この陸橋は氷河期にも不凍でツンドラの植物が生えていたことにより、マンモスなどの動物が生息。人々はユーラシアからこれらを追ってベリンジアを渡り、北米に移動していったと言われている。実際、ユーコン北部のオールド・クロウには、氷河時代(2万年前)から人が住んでいた形跡がある。

[1万年前~18世紀 先住民の時代]

氷河期が終わると、ユーコン各地に人々が居住しはじめる。狩猟生活を行い、自然を敬い、各地の風土に合わせ独自の生活様式や言葉を創り上げていった。ユーコンでは現在も多くの先住民が暮らしており、先祖が自然の中で連綿と伝えてきた文化を今につなげている。

[18~19世紀 ヨーロッパ人の到来]

先住民たちの暮らしの中に、ほかの土地からの人々が訪れるようになったのは1700年代半ばから。すでにアラスカで交易を行っていたロシアがユーコンも探検。毛皮などの取引きを開始した。続いてイギリスのジョン・フランクリンなどの探検家が訪れるようになり、1848年には北米で手広く毛皮交易を行っていたイギリスのハドソンズ・ベイ・カンパニーが交易所を設け一帯を領有地とする。交易所では、先住民はヨーロッパ人にさまざまな毛皮を提供。引き換えに彼らには銃やたばこ、そして小麦粉などの食品がもたらされた。
1867年にカナダが建国すると、翌年にはユーコンを含むハドソンズ・ベイ・カンパニーの広大な領有地はカナダに譲渡され、1869年には一帯は「ノースウエスト準州」としてカナダ連邦に編入された。

[1896年~1899年 ゴールドラッシュ]

始まり

1896年、カナダ人のジョージ・カーマックと仲間の先住民ドーソン・チャーリー、スクーカム・ジムの3人がクロンダイク川の支流で膨大な金を発見し、川沿い約150mにわたって採掘権を主張する杭をたてる。彼らはここをボナンザ・クリーク(儲けの小川)と命名。ニュースはすぐに北米中に広がり、北の大地に一気に人々が押し寄せ、19世紀最大のゴールドラッシュが沸き起こった。

押し寄せる人々

ユーコンには、金を求めて10万人がやってきたと言われるが、その多くはアメリカ人だった。彼らはカリフォルニアから船で西海岸を北上しアラスカのスキャグウェイまで行き、ここから歩いて峠を越え、ユーコン川までたどり着き、さらに川を下ってドーソン・シティへ、というルートをとった。最大の難所となったのはスキャグウェイの先に待ち構える峠チルクート・パスやホワイト・パスで、人々は重たい荷物を背負い、まるでアリの行列のように列をなして坂道を登っていった(右写真は当時のチルクート・パス)。この峠を越えた先、ユーコンの川下りを始めるためのキャンプ地となった場所が、現在のホワイトホースだ。


Photo: Library and Archives Canada

ドーソン・シティ

ゴールドラッシュのピークは1898年。ボナンザ・クリークの近くにできたドーソン・シティには、4万人が集まり、ホテルやサルーン、裁判所などができ、当時カナダ西部では最大の町となった。またこの年の6月、この地がアメリカ(アラスカ)に併合されることを危惧したカナダ政府は、ノースウエスト準州から一帯を分離してユーコン準州を誕生させ、州都をドーソン・シティに。1900年には、人々が歩いて登った峠に鉄道(ホワイト・パス&ユーコン・ルート)も完成した。

ゴールドラッシュの終わり

1899年、アラスカでさらに別の金鉱が発見され、人々は徐々にアラスカに流出。また機械を使って合理的に採金する企業が進出してきたこともあり、ユーコンのゴールドラッシュはほぼ終息を迎える。ちなみに金は現在でもドーソン・シティ周辺で採掘されており、旅行者もアトラクションとして昔ながらの砂金すくいを楽しむことができる。

[20~21世紀 そして現在へ]

20世紀半ばから、ユーコンでは道路の整備も進んできた。きっかけとなったのは、第2次世界大戦だ。対日戦略拠点としてアラスカを重視したアメリカとカナダは、BC州からユーコンを通りアラスカのフェアバンクスまで、2500kmの陸路アラスカ・ハイウェイ(写真右)をたった8か月で完成させた。また1979年には、アラスカのスキャグウェイからホワイトホース、そしてドーソン・シティまで、ゴールドラッシュの人々の流れと同じルートをつなぐクロンダイク・ハイウェイも完成。
ユーコン準州の州都は1953年にドーソン・シティからホワイトホースに移転。ホワイトホースはこれら2つのハイウェイが交差する交通の要所でもあり、現在ではユーコンの全人口の約8割の人がこの町に生活している。

ユーコンの文化

[先住民]

ユーコンには、ヨーロッパ人が訪れるずっと以前から人々が暮らしており、厳しい環境の中、大地や生き物を敬いながら生活し、口承によってその知恵を代々伝えてきた。彼らの伝説によると、この大地と人間は、カラスによって創造されたものとされている。
現在、ユーコンには下記のとおり大きく分けて8つの先住民グループ(言語グループ)がある。

グウィッチンGwitchein(居住地/オールド・クロウ)
ハン Han(居住地/ドーソン・シティ)
ノーザン・タッチョーネ Northern Tutchone(居住地/マヨ、カーマックス、ペリークロッシング)
サザン・タッチョーネ Southern Tutchone(居住地/ホワイトホース、ヘインズ・ジャンクション、バーウォッシュ・ランディング&デストラクション・ベイ)
カスカ Kaska (居住地/ロス・リバー、ワトソン・レイク)
タギッシュ Tagish(居住地/タギッシュ)
トリンギット Tlingit(居住地/カークロス、テスリン)
アッパー・タナナ Upper Tanana(居住地/ビーバー・クリーク)

近年、先住民が独自の文化や伝統を紹介する文化センターが、各地に次々と登場している。自然と共存してきた人々の謙虚でエコなライフスタイルを知ることのできる、興味深い施設として注目されている。

[アウトドアライフ]

手つかずの自然地帯に覆われたユーコンでは、アウトドアを楽しむことは、日常生活の一部ともいえる。たとえばホワイトホースのオフィスワーカーも、日の長い夏には仕事後に“ちょっとそこまで”という感覚でハイキングに行ったり、また日が短い冬にも昼休みに市内のトレイルに出てジョギング代わりのクロスカントリースキーを楽しんだり、というスタイルがごく普通。旅行者もハイキングシューズは必携品。気軽に自然の中に入っていくことは、ユーコン文化の一部だ。

[食]

ユーコンはグルメな人にとっても魅力的な旅先だ。ぜひ味わいたいのは、アークティック・チャー(北極イワナ)、サーモンなど新鮮な魚の料理、そして柔らかい赤身が特徴のカリブーや、バイソン、ムースなど。さらにブルーベリーやクランベリーなどの野生の木の実で作ったジャムやドレッシングも絶品。
また、世界各地から人々が移り住んでいるこの地では、各国の料理が揃っているのも特徴。たとえばホワイトホースでは、典型的な北米料理はもとより、和食、中華、インドなどのアジア料理、イタリアンや本格フレンチ、そしてメキシカンや中近東料理まで、ありとあらゆる味覚を本格的な味わいで楽しむ事ができる。

[ユーコンアート]

ユーコンはアーティストが集まる場所としても知られている。この地の自然の美しさや自由な空気にひかれ、世界各地からアーティストが移り住み、それぞれに自由な創作活動を行っている。また自然とともにあるライフスタイルを表現する先住民アーティストも多い。
ホワイトホースにはそうした地元アーティストの作品を展示するギャラリーも多く、またアートイベントもしばしば開催されている。主なギャラリーやイベント情報は、下記のサイトでチェック可能。

[サワドー]

ユーコンでは、長い間ユーコンに住んでいる人のことを『サワドー』と呼ぶ。これは、ユーコンでもおなじみのパン、サワドーブレッドを作るための天然酵母のことだが、寒い中でも発酵できることになぞらえ、厳寒の冬を何回も克服した人に与えられる称号のようなものだ。
「ここで5年過ごせば立派なサワドーだ」、「いやサワドーと呼ぶには10年たたなければ」など、人によってその判断はまちまちだが、いずれにしてもこの大地で暮らすことの厳しさを表した呼び名といえる。ちなみにユーコンに来てまだ1~2年の人に対しては「チチャコ」(先住民の言葉で新参者)という呼び方もある。

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